報告者:YKK
ありゃー、TJに隊員の恥部を暴露されてしまい焦っている。この今から38年も前、当時18歳の時のGT500購入事件だが、これで隊員の人生が大狂い、現在に至っているのである。何しろ明日の飯代にもこまるのに有り金を全部はたいてしまったのだった。
そこでモバイル人柱隊の番外編としてこのGT500なるものを少し紹介しよう。読者の中には全く興味が無い方もおられるだろうが、この事件が語られるのはこれが最初にして最後なので、しばしのお付き合い。車も確実にモバイルなのだ。
そもそもCarol Shelbyなるおじさんが60年代の前半に登場した。この人、当時無謀にもルマンに代表されるEndurance RaceのGT部門(規定の生産数に達した生産車)に常勝フェラーリ250GTを向こうに回し挑戦を開始したのだ。Cobra Coupeと呼ばれた車がそれだが60年代中頃にはフェラーリを押さえ何と勝ってしまった。その後Fordの傘下に入りPrototype部門でもフェラーリを押さえたFord GT40 / Mark II / Mark IVの原型となった。
1964年に発売され爆発的なヒットとなったFord Mustang、この車の特別車種としてShelby GT350 / GT500が少数ながらShelbyの名を冠し生産販売されるに至る。GT350には4.7リッター、GT500には7リッターのV8エンジンを搭載し、ボディーも基本はMustangのそれだがボンネット、トランクリッドなどグラスファイバーに置き換えられ軽量化が図られ当時はほとんど無かったエアロパーツも組み込まれ精悍な外観に仕上げられていた。1965年に最初のMustangボディーに4.7リッターのエンジンを搭載した初期のGT350が現れ、1967年に2代目Mustangのボディー、1970年に3代目(確かこの年のモデルで生産中止)と続いたが、2,050台生産された1967年モデルが今でも最良との評価があり現在でも一番高価な値で取引されているようだ。
上記の写真は隊員の購入したGT500と色も全て購入した時と同一そのまんまである。見ると分かるように室内にはロールバーまで付いており4点式シートベルトも標準装備だった。現在のWEB上の紹介文には3速オートマチックとあるが、当然隊員が購入したのは4速マニュアル仕様である。隊員は第1号車から今に至るまで自分で購入した車にはオートマチックという選択肢は無かったし、今後も絶対に無いのだ。そもそもいくら進歩したと言われてもオートマチック車なんてのは車じゃないと思っている。色は違うが他の角度から見た写真も見てほしい。
エンジンの外観はというと、
この1967年モデルのみHollyの4バレルキャブが2連装されており、その出っ張りを収めるためにグラスファイバー製のボンネットには張り出しがエアースクープとして設けられ空気のラム効果を生んでいた。ものすごいガソリン食いで元々のMustangの小さいボディー、小さいガソリンタンクとあいまって、ひとたびアクセル全開にするとガソリンゲージが見る見る減って行くのが分かるのだ!現在のガソリン価格は当時の数倍!今じゃそれこそアクセルひと踏みいくらの世界!当時も自分の腹より車の腹を常時満たしていた。
それと最大の問題としてスパークプラグの交換が出来ないのだった。エンジンが巨大過ぎてスパークプラグに手が届かないのだ。交換する際にはカムカバー、ヘッドを取りはずか、エンジン自体を吊り上げるしか方法が無く、大掛かりなそしてなにより高価な作業となってしまった。
PDAもそうだが、こういう車も買っただけでは満足しない。なんだかんだとカスタマイズに精を出すことになる。隊員のやった事はまず4速マニュアルトランスミッションのリンケージの交換だ。標準のリンケージは何となくグニャグニャしていて硬性がない。この世界にはHurstというカリスマブランドで今でもマニアの垂涎の的の製品があり、アルバイト代を一月分つぎ込み交換した。
シフトノブも同じくHurst製のアルミの削り出しで右手にすっぽりと納まるT-Barに交換。
これでシフトの際にカチカチとすばやく決まり、同時に交換したHeel & Toeのやりやすいこれもアルミの削りだしのブレーキ、クラッチ、アクセルペダルとあいまり快感を覚えるようになった。次はタイアとホイールだ、当時は現在のようにロープロファイルのストリートタイアなんて存在せず、かっこよく見せる為には本物のレーシングタイアにこれもレーシング用のマグネシュームホイールにはかせるしかなかった。勿論ストリートを走るのだからスリックはダメでレイン用だ。レーシング用はタイアもホイールも片手で持てるほど軽く、バネ下重量の軽減とも相まってハンドリングに良い影響を与える。ところが軽い反面非常に特に側面が弱く、ストリートを走る際には細心の注意が必要、隊員など、ちょっと悪路が先に見えたりしたら後続の車の事なんて完全無視して止まって回れ右してしまったものだ。
サスペンションは強化されているとは言えMustangの板バネ吊りの固定アクスルという超古典仕様。トルクバー、LSDを装着、ダンパーもストロークが長くアクスルの暴れを吸収する物に交換して何とかさまになったが、圧巻は何と言っても、どの回転域からでも発生するバカみたいな強力なトルクだ、3速にシフトアップしてもスピンを起こすほどで、1速で最大トルクを発生する3千回転あたりでクラッチを繋ぎアクセル全開にしようものならホイールスピンで全く前に進まず下記の写真のようになる、これは車が燃えているのではなくホイールスピンを起こしたタイアが発生している煙なのだ。アクセル一踏みで瞬時に顔が真上を向くあの加速G、今でも鮮烈にこの体が覚えている。ただこれをやると一発でタイアがおしゃかになる。
更にExhaust Header、日本で言われる「タコ足マニホールド」と排気効率の良いマフラーの装着。これを付けると馬力アップもそうだが、アクセルをふかす際に排気音が等長の排気管に共鳴してフェラーリの12気筒には負けるが、まことに心地よい正に宝石のような響きを奏でる。
白のボディーカラーに二本の太いブルーのストライプ、レーシングタイアを履き、学校を始め週末にはSCCA主催のサーキットへとそこらじゅう流していたので目立たない方がおかしい。羨望の的になり、ピノキオの鼻、得意の絶頂、いい気になっていたのだった。
人間、分相応の事をしないと必ず天罰、報いが来るもんで、結末はと言うとニコラス・ケージ主演の映画「60セカンド」そのまんま、2年ばかり乗った最後は見るも無残な姿となってしまった。そうなのだ、あの映画の最後に出るEleanorがGT500なのだ。現代のタイア、ホイール、エアロパーツを装備しているがあれこそ67年式GT500そのもの。パトカーと追いかけっこしてボロボロになったやつではなく、最後のシーンでニコラス・ケージが仲間からプレゼントされるほとんど入れ物だけのGT500が隊員が追いかけっこをした訳ではなく盗まれてしまった隊員のGT500の最後の姿だった。この映画を見て涙を流したもんだ。
ただおりた保険金で、一時は真剣に考えた首吊り自殺もせずに何とか学業を終えられたのだからやはり人生捨てたもんじゃない。
無理な背伸び、分不相応な事をしてはいけないという人生の典型的な見本だった。そんでもって今はと言うとTJの指摘通り、このあたりが分相応と、せっせとPDAを買いあさっているのだった。
最後にこのGT500、コレクターズアイテムとして健在だ。相場を調べたらUSドルで5万程度から、そしてEleanorの様に非常に良く整備、ドレスアップされた物だと10万は軽く超える値段が付いている。隊員のGT500も健在だったら、、、、いや、考えない事にしよう。
思わぬ記事に喜んでいます。
当時、GT500のことは雑誌の記事で見聞きしてはいても、実際に所有し乗り回しておられていた日本人の方がおられたとは、驚きです。
お金に換えられない貴重な体験をされていたんですね。
今週末、マカオGP観戦に行きますが、当方に時間さえあれば、YKKさんの仕事場にお邪魔してでも、もっとお話が聞きたいところです。
また機会が有れば、この続きを聞かせ背手頂きたいですが、このサイトの主旨に合いませんね。残念(^_^;
つい、嬉しくなって、コメントさせて頂きました。
決して自慢でも何でもない馬鹿馬鹿しい話にコメントをいただきありがとうございます。
こんな事経験しなくても人生何にもこまりません。自分の子供には聞かせたくない話ですし、事実自分の娘になど決して話しません。親が親だから私もなんて言われたら目も当てられませんしね。
TJに暴露されたので話が一人歩きしない内にと、、、これが最初で最後です。
マカオですか、実は70年代初めに私も、、、、でも書きません。
> マカオですか、実は70年代初めに私も、、、、でも書きません。
誰にもばらしませんから、続き聞かせて下さい。
でないと、気になって、眠れなくなって、本当に会社まで押しかけそうです。(爆
まさか、あの、スーパーカーレースにも出てたりして。
毎年、私の香港の友人たちがレースに参加しているので、出かけています。
本日、UBC(タイのケーブルテレビ)のRidesというDiscovery Channelの番組でGT500 Elenorの特集やってました。
それは見たかったですね。あのEleanorは当時のGT500とは特にサスペンション、タイア、ホイールまわりが別物です。あのようなロープロファイルのタイアをはくとサスペンションにかなりの負担をかけるので当時のそれとは完全に違うものでしょう。
エンジンこそ、その設計と構造の古さから最高速こそ現代の車に劣るけど、あの低回転域からのトルクの強大さは7リッターという大排気量車のみから味わえる物でした。それはあの「60セカンド」のおっかけっこからも十分うかがえると思います。