二年ぶりのサンフランシスコ(1)

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報告者:YKK

一昨年ほとんど10年ぶりに行ったサンフランシスコ。昨年も行こうと思ったが例の豚インフルエンザでおじゃんになり。今年は是非と思い行って来た。マイルが溜まっており贅沢をして往復ファーストクラスとしゃれ込んだ。

サンフランシスコは昭和39年東京オリンピック直前3月に中学を卒業後父親の転勤に伴い母親と一緒に行った場所。当時は観光の目的ではパスポートも取得出来ない時代、1ドルがなんと360円、闇では400円もした。更に一人500ドルまでの持ち出し制限。今から考えると信じられないほど日本は貧乏な時代だった。団塊の世代、とんでもなく生徒数も学級数も多かった、1学年16学級、1学級60人という時代。当然親は私のその後の教育を考えて単身赴任なんて事も考えたと思う。しかし当時はそんなに深い考えは無かったが両親とも偉かった。家族は一緒に生活してこその家族。子供は自立出来るまでは親の勝手と当時まだ15歳だった私も伴い異国に飛びだった。当然不安でしかたがなかったと思うけど両親のその英断に今の自分は大変感謝してる。今簡単に単身赴任を選択してしまう日本のサラリーマン諸氏に声を大にして言いたい。どんな理由があっても単身赴任なんて非人道的な選択はしないでほしい。家族は一緒に生活してこその家族。どんな理由があるにせよ一時的にでも単身赴任なんてしたら大小の差はあるが問題を必ず残す。家族と一緒に生活する以上に重要な事なんてあるんだろうか。何が子供の為に良いかなんてのは分からないもんだ。

異国という言葉がそのままの時代、羽田空港では出国後搭乗前の待合室では穴が開いたガラス越しに見送りの人たちと話しも出来た。ボーディングブリッジ等なく徒歩で飛行機まで行きタラップを登る。見送りの人は(大勢の中学の同級生が来てくれた)屋上から横断幕を掲げバンザーイ。そんな時代だった。当時の日本は東京オリンピックに向け一大インフラ整備が行われている真っ最中。高速道路もまだ無ければ新幹線もまだ開通してなかった。サンフランシスコに到着して父親の運転する車で空港から自宅へ向かう途中で目にした光景は今でもハッキリ覚えている。カルチャーショックなんて生易しいものじゃなかった。目にする全てが日本とは比較にならないほど進歩していた。縦横に走る高速道路、ティッシュペーパー、トイレットペーパー、液体洗剤、等々初めて目にする物ばかり。なんと水洗トイレもアメリカで初めて使用した。ティッシュボックスから1枚取り出し鼻をかむ、そんな贅沢も初めて経験した。それから約半世紀、サンフランシスコは大きな変化も無く当時あった建物、店、今でもちゃんとあるし人々の暮らしぶりもほとんど変わってない。その後アメリカの公立高校、Community College、州立大学と進み1972年まで8年間をサンフランシスコで過ごした。

2010年2月23日火曜日CX872で午後5時5分定刻で出発。ファーストクラスキャビンはいたって快適。アメリカ行きのフライトはセキュリティーが厳重で搭乗前にボディーチェックは勿論、手荷物を全て開けられ検査された。

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この時間に香港を出ると夕食後ベッドメーキングをしてくれてぐっすり寝た後明るくなり午後1時にサンフランシスコに到着するので夜の時間が長くなるだけで時差ボケもあまり起きない。行きは順風なのでフライト時間は約11時間半。なにしろ完全なベッドだし寝返り自由、更に決定的に違うのは毛布では無く羽根布団だという事。これが違うのです。食事はビジネスクラスに比較して全然違う。どこの一流レストランと比較しても遜色ない。ところが離陸後まもなく出されるフルコースの夕食はそうなのだが、次の食事は到着前の朝食でファーストクラスの場合時間を指定出来る。寝ていたければ着陸間際までベッドでぐっすりも可能。私も空腹感も無く朝食はコーヒーだけで終わり。結果はせーので一斉に食事が出るビジネスクラスに比較しても量的には食べない。ただ出る物が違う。例えば、キャビアもこの量だ。メインコースも大変美味しいFiletでした。

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サンフランシスコ空港は到着の時間帯にもよるだろうが西海岸だとLAに比較すると圧倒的に国際線の便数が少ない。午後1時だと他に到着便もなくイミグレーションもがら空き、ファーストクラスだと当然一番先に降りるので無人の野の行くがごとくでものの5分でイミグレーションを出て荷物も先頭に出てくる。飛行機のドアが開いてから10分後外へ出てしまった。LAだとイミグレーションは長蛇の列。絶対に西海岸ならサンフランシスコから入国すべき。

今回は3人の同級生の家に泊まり、最後の二日間だけ市内のホテルに宿泊の予定を立てた。まずは空港からピックアップしてもらい最初の同級生の家に向かった。みんなほとんど既にリタイアしており時間はいくらでもある。最初に泊まった家。

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窓からの眺めは素晴らしい。後方にゴールデンゲートブリッジの赤い橋桁が望まれる。

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この家には4泊。一晩は他の同級生の家で月イチでポーカーをやっているというので一晩付き合って来た。ロー、ハイなんて随分と長い間やった事なかったので最初の予定通り200ドルほど寄付をしてきた(負けただけ)。皆同級生だが白人ってすごく老けるのが早い、とても同じ年だとは思えない。80歳くらいに見えるよ。後ろのジュークボックスはちゃんと動作してた。

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年寄りばかりのポーカーゲームだから夜更かしはしないらしい(笑)。午後9時頃にはお開き。どこか行くかと聞くのでふと昔良く行ったUnion StreetのCafe Contaraを思い出した。LateとかCappuccinoとかいわゆるファンシーなコーヒーなんてアメリカには未だなかった時代にこの店だけには多種あって貧乏学生の身分で良く通った。この店はSteve McQueenのBulletというカーチェースで有名になった映画の一シーンに登場し一躍有名になった。

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おー、あそこかという事で行ってみたら現在は既に無くなっており別のレストランになっていた。しかし金曜日の夜とも相まってともかく若者のカップルで満員だった。DVDとか観る機会があったら是非気をつけてみてみて下さい。

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一晩は同級生の従兄弟が日本食レストランをオープンしたと言うので行ってきた。中国人が日本食レストラン?最近はほとんどこういうケースが多いらしい。競争が激しくもうからない中華系より和食の方が単価を上げられ儲かるらしい。大盤振る舞いしてもらった。

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つづく、、、